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坂東 愛
フリーライター / 在宅シンママワーカー 1970年代生まれのアラフォー。茨城県土浦市出身。二松学舎大学文学部国文学科、大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒業。これまでの人生で14回も引越を経験しているため、働く場所を選ばずに、育児優先で生活できる在宅でのワークスタイルを実践しています。
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坂東 愛

自宅で仕事する「あきらめない」シンママライター

6歳から文筆がライフワーク。
20代でメディアでのライター活動をスタート。書籍、雑誌、携帯サイトにて、得意のリサーチを活かしたライティングで仕事を続ける。
初めてのひとり暮らしで離島生活を経験したことをきっかけに、SNS上でのコミュニケーションや、ブログでの情報発信に楽しみを見出す。離島生活をはじめ、多くの人にとって非日常である経験を綴ったブログは、開始から1週間足らずで1日1000PVを達成。
30代目前で社会人入学した大学では、卒業制作で小説を執筆。首席に選ばれ、出版される。

14回の引越と8回の転職を経験したことから、勤務地や組織に拘束されない、在宅でのワークスタイルを実践。ライターの仕事を中心に、文章が苦手な人へのアドバイスや、サイト構築のサポートをしている。

2011年に出産、2013年に離婚。東日本大震災が発端の「震災離婚」だった。半年の別居期間に、専業主婦、とりわけ乳幼児を抱えた母の社会復帰の難しさに直面。シンママではめずらしい「保育園に預けない」育児優先のワークスタイルを2年送る。『シンママでも、収入を得られれば、ひとりの人間としての人生をあきらめなくてすむ』をモットーに、ブログやSNSで発信を続けている。

 


坂東愛の簡単な経歴


フリーライター / 在宅シンママワーカー

1970年代生まれのアラフォー。茨城県土浦市出身。二松学舎大学文学部国文学科、大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒業。

これまでの人生で14回も引越を経験しているため、働く場所を選ばずに、

育児優先で生活できる在宅でのワークスタイルを実践しています。

大手有名企業が運営するいくつかのメディアでのライターの仕事を中心に、以下のことを少しずつやっています。

☑書くことを通して、自分の人生を見つめ直す講座の講師

☑文章を書けるようになりたい人へのコンサルティング

☑ ブログ、ホームページに関する困りごとの解決

☑ たまにアロマクラフトのワークショップ

 


私がライターになったきっかけ


子どもの頃からの私の夢は作家です。しかし、文章で食べていくことはかんたんではない。文章を書けるようになるにはもっと知識が必要。だったら、自分で知りたいことを調べるスキルを身につけようと考え、早い時期から図書館司書を志していました。通っていた学校では図書館司書の資格が取れなかったため、別の学校の通信課程で図書館司書の資格を取り、卒業後は地元の公共図書館でアルバイトとして働いていました。

ところが、図書館司書の求人は本当に少なく、非正規雇用の採用でも狭き門。いつまでもアルバイトというわけにもいかないので、月給と社会保障がきちんとしていた別の公共図書館にパートで転職しました。そこで、目にしたのは雇用形態によるヒエラルキー。どんなにスキルがあっても正規雇用の人と同等には扱ってもらえません。それどころか、
黙って私たちの言うことを聞いていればいいの

と、遠回しに正規雇用の人たちから威圧的な態度を取られてしまう始末。ここで働き続けていたら、お互いを認めずに尊重し合わない空気に染まってしまうと思い、図書館の仕事を辞めることを決意しました。

もともと、文章を書くときの助けになればという思いで始めた図書館勤務でした。図書館の仕事でも食べていくのはかんたんではないとよくわかったので、やはり文章を書くことそのもので生活していきたいと考えなおし、夜間のライタースクールに通い始めました。在学中に先輩からライターとして仕事をいただけるようにはなったのですが、決められたテーマにそって、渡された資料をリライトして納品するような仕事ばかり。正直、ライターの仕事をしているという実感はわきませんでした。

 


クビをきっかけにあきらめていた地方公務員へ


ライタースクールの卒業が近づく頃、私は勤めていた図書館をクビになりました。理由はさだかではありませんが、おそらく「図書館にあるマンガの本を全部捨てろ」という館長の命令に納得いかず、以前に勤めていた図書館で親しくさせていただいた人に相談したことが原因だと思われます。

図書館で働くことに見切りはつけていたものの、当時はまだライターとして生計を立てられるほどの仕事はありませんでした。そこで私は、有給休暇消化もかねて、図書館勤務の求人があったある離島へ採用試験を受けに行きました。生まれてはじめてのひとり旅。観光をして、そのついでに採用試験を軽い気持ちで受けたのですが、帰宅した翌日にはまさかの合格通知が。
ライターを目指すと決めたあとで、図書館に正規雇用の道が開かれるという、
なんとも皮肉な結果になりました。

迷ったのですが、他に収入のあてもなかったので、地方公務員になりました

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とは言っても、急な話。ライターとしていただいている仕事もあったので、職場には内緒で公務員とライター、二足のわらじをはく生活がスタートしたのです。

 


生活が安定しても、こころがすりへっていく日々


公務員生活が始まった日は配属される図書館が別の場所へ移転する当日でした。辞令を受け取ると、あいさつもそこそこに自宅に帰り、スーツからジャージに着替え、夜まで肉体労働。

帰宅してからはライターの仕事をこなし、寝るのは明るくなってからでした。図書館の移転作業が完了するまでの1ヶ月ちょっと、新しい職場で早く周囲に慣れないといけない。そして、ライターの仕事も次の依頼が来るように頑張らなくてはいけない。今思えば、どちらの関係者にもいい顔をしようと相当頑張っていました。せっかく安定した職につき、知り合いなどひとりもいない土地にきたのだから、家にいる時間はライターの仕事に専念しよう。仕事をたくさんこなして、実績をどんどん作り、食べていけるようになったら公務員は辞めて本土に帰ろう。そればかり考えていました。もちろん、税金からお給料をいただいている身でしたので、図書館の仕事にもしっかり取り組み、前年度よりも大幅に業績を伸ばしました。

採用されて1年もしないうちに昇給という結果も得ることができ、これまでのアルバイトやパートなど、図書館での下積み経験も報われたように感じていました。

けれども、当時、
お金の心配をしなくて済むことより、幸せなことはない」と、
自分に言い聞かせて感じないふりをしていたことがありました。所属長の心ない言葉です。
昼夜を問わず仕事に明け暮れ、将来のことのみを考えるようにしていたのですが、次第に追い詰められていきました。

 


人生には限りがあることをつきつけられた29歳


所属長は筋金入りのパワハラおじさんでした。10人ちょっとの部署なのに、所属長に休職、退職に追い込まれた人は知っているだけで半数は超えています。私自身も採用早々に「よそ者は絶対に認めない」と宣戦布告され、「お前の胸は垂れている」と、セクハラ発言も受けました。それでもスルーできたのは、図書館のマネジメントをひとりで任され、パソコンを使って本を貸し出すシステムを導入するなど、職場にいる時間はやるべきことがたくさんあったから。真に受けているひまがほとんどなかったというのが正直なところでした。

そんな仕事中心の生活を送っていたある日のこと。実家の母からメールが届きました。

おばあちゃんが亡くなりました」と。

 


祖母の死で人生の残り時間を意識しだしたものの…


祖母は93歳だったので、長生きした方だとは思うのです。けれども、どういうわけか、祖母は絶対に死なないような気が私はしていました。

晩年は認知症になっていて、最後に会ったときは病院のトイレに行くのにも車椅子だったのに。祖母の葬儀が済んだあと
「大切な人に会いたいときに、会いに行けないところにいる自分でいいのだろうか?」
「自分にもいつか終わりが来る。今のままでは死ぬときにきっと後悔してしまうな…」と、
考えるようになりました。

DSC00515考えてはみるものの、時は待っていてくれはしません。相変わらず、昼は図書館の仕事。
夜はライターの仕事。時には寝るのが遅くなるだけでなく、徹夜にもなりました。朝8時には家を出て、夜が明ける頃、布団に入るのが当たり前。眠ろうとしても、寝坊するのが怖くて安心して眠れない日もありました。

今の生活を変えなければ。でも、今、図書館の仕事を辞めてしまったら、生活が立ち行かなくなる…。「どうすればいいのだろう?」と、ぐるぐると考える日々が続きました。公務員を辞めたら実家に帰るしかない。ライターの仕事だけでは家に十分なお金を入れられない。
どちらかひとつは選べない…。

 


「自分の書きたいことを書こう!」と決めた直後の事件


ちょうどその頃はブログやmixiがはやりだした時期でした。私も家に帰ってライターの仕事をする前の準備体操がわりに、ブログやmixiに日記や読んだ本の感想を書いていました。

そのブログに広告やAmazonのリンクを貼ると、収入が発生することを知り、やってみるとライターの仕事よりも早く入金され、びっくりしたものです。

仕事をいただいて指示されたとおりに文章を書き、半年以上待ってギャラをもらうより、自分の好きなことを書いて収入を得る方法にシフトしよう!

そう決意したのですが、職場でショッキングな事件が起きてしまいました。

私のことをかわいがってくれていた先輩が所属長のパワハラによって、
退職に追い込まれたのです。

DSC00078仕事を辞める前日に先輩は言いました。「次のターゲットはめぐだと思う」。

書きたいことを書いていこうと決めたのは、遅すぎたようです。書きたいことを書くために前提となっていた安定した収入源があやうくなったのですから。

公務員の仕事もライター業も「将来のために」と頑張り続けてきましたが、
こころはもう限界でした。先輩が退職に追いこまれたことで、パワハラを感じないふりができなくなり、先輩が職場を去った後は仕事に身が入らなくなりました。

 


公務員生活から卒業


先輩の退職が決まった直後は上司の前でも泣いてしまうくらい弱っていました。それでも、何がパワハラの口実になるかわからなかったので、どんなにつらくても親身になってくれる他の先輩や直属の上司にもこころのうちを明かすことはできませんでした。

つらい気持ちをいやしてくれたのもまた、文章を書くことでした。

そもそも、なぜ今、こんな思いをしているのか。書き出してみると、

公務員という安定したポジションを手放せなかった
頑張ったけれど、ライター業では食べていけていない
「自分の好きなことだけ書いていたのでは収入にはならない」という思いこみ
図書館司書という仕事への執着
「誰かから選ばれないと仕事ができない」という思い込み
などが浮かんできました。

それならば、どういう自分だったら楽しい気分でいられるのだろう?

他人の目を気にしないで済む環境
仕事を自分で自由に選べる状況
書きたい時間に書きたいことを書きたいだけ書ける自由
小さい頃の夢だった作家になれたら
希望だった文芸学科のある大学に行けたら
書き出すことで、自分がどうしたいのか、本当はどうしたかったのかが見えてきました。

 


そうだ、大学に行こう!!


やりたいことがはっきりとわかった私は行きたかった大学の願書を取り寄せ、期限ギリギリで出願。授業が始まる日に合わせて辞表を提出。後悔しないように、やりたいことをできるかぎり精一杯やろうと決めたら、安定した公務員という仕事を手放すことに迷いがなくなりました。

そして、大学で勉強に集中するために最低限の収入は必要と考え、次の職場も退職前にさっさと決めてしまいました。今振り返ると、そんな行動力、どこにあったのだろうと思いますが。

そして、引越当日。空港に見送りに来てくれたのは数人だけだったけれど、さびしい気持ちにはちっともならずに島を離れました!

あの日、飛行機の窓から見た青い空を私は今でもはっきりと覚えています。雨の多い島だったけれど、雲の上にはいつでも青い空が広がっていたことも。

 


大学は卒業した。これからどうしよう?


公務員を辞めて2年半後。私は大学を卒業しました。学業最優先と決めていたので、学業に支障が出るような残業を求められたり、授業のある日に休みをとれなかったりで、転職も何回かしました。ライターの仕事も、ギャラの未払いが続き、そのうえ、高額な経費の立て替えをせまられたため、やめてしまいました。失業保険でなんとか生活していた時期もあり、

「次の仕事が決まらないと、来月は生活できないかも」と、不安になったこともありました。

大学卒業目前に働いていた職場の上司が、社会人学生に本当に理解のある方々だったこともあり、卒業制作で生まれて初めて書いた小説は首席の学科賞をいただくことができました。

7b29ea3c-751f-4e95-80c9-08475d99c5a4そこで、考えたのです。

今の職場は人間関係に恵まれている
始業もゆっくり、残業もまったくない
自分ひとりならば生活できるだけの収入もある
好きな日に休みが取れ、遅刻や早退にも寛容
私が文章を書くことを応援してくれる人たちがいる
ここで働いていれば、私は

小さい頃の夢だった作家

を 目指せるかもしれない、と。

 


好きなことをしているはずなのに満たされない気持ち


それからの私は派遣で働きながら、小説を書いては公募に出す生活をしていました。

幸せで恵まれた生活だったにもかかわらず、2年が過ぎた頃から、

この暮らしに不安も感じるようになってきたのです。

好きなことを好きなようにしているのに、なんだか満たされない。

なぜだろう?

気持ちを書き出してみて気がついたのは「将来に対する漠然とした不安」でした。

ちょうど政権交代でいろいろなことが変わり始めていました。それまでは長く派遣で働いている人もいる職場でしたが、派遣法で決められた3年を超えないようにと、監督省庁から派遣会社の方に指導が入るようになりました。
また、派遣で働いていた先輩が結婚、親の介護で相次いで仕事を辞めていったのです。

つまり再び私は「安定した収入の柱」がなくなるかもしれないという不安を抱えていたのです。それに加えて、結婚・出産するならそろそろ焦った方がいい歳でもありました。親だっていつまで元気でいられるかわかりません。いくら職場に理解があっても、育児や介護のように誰かの都合で動かなくてはいけなくなったら、仕事と両立する体力は私にはありません。
仮に仕事を続けられたとしても、文章書く気力と時間は残らないかもしれません。

 


突然のプロポーズに驚き、結婚してしまいました!


そんなときに、気になる男性との出会いがありました。彼とは歳が離れていたので、お付き合いをしようという話になったとき、

「私の年齢で今、普通にお付き合いして、別れることになったら、
ダメージと時間のロスが大きすぎる」と伝えました。

すると、後日、彼からプロポーズされたのです。

交際期間0日で結婚なんてと思いましたが、

今自分がやりたいことは仕事ではなく、文章を書くこと」。
自分で時間を作って作品を書き、相手の収入だけで生活できれば、仕事に行っている時間をロスすることもない。極端なはなし、一切家から出ずに家事と家族の時間と書く時間を確保できる。

私にとっては理想の生活のように見えました。それで結婚を決め、今まで以上に文章を書く時間を取ることに成功し、すべてはうまくいくように思えたのですが…

 


震災、出産、離婚を経験して、今


今の私は小説を書くことはお休みしています。

私にはもうすぐ5歳になる子どもがいます。2年前に離婚も経験しました。

IMG_0003きっかけは結婚して3ヶ月後に起きた東日本大震災でした。元夫は被災地支援で家をあける日々。そのタイミングで子どもを授かった私は妊娠中から体調がすぐれず、家事も育児もひとりでは十分にできずにいたことが、彼には重荷だったようです。彼は精神に異常をきたしてしまいました。

元夫とは精神状態が安定しているときに一度話し合いました。彼からは
「(自分が)仕事を辞めることはできない。この先も仕事を続けていくためには、家族を捨ててもいいと半分くらい思っている」と言われてしまいました。

その後、再び、彼の精神が壊れ、子どもを守るために別居をスタート。その日以来、いちども顔をあわせることなく離婚をしました。

安定を求めたはずが離婚になってしまい、ようやく私が学んだのは、
収入の柱はひとつではリスキー」だということ。そして、
仕事・家事・育児をすべてひとりでこなそうとすることもまた、
健康面ではリスキーだと考え、
今は実家で両親に助けてもらいながら、自宅で仕事・家事・育児をしています。

外出は月に数回。仕事で必要なものを買うとき、文章に煮詰まったときに出かけるくらいで、基本的には家が仕事場です。連絡はLINEとスカイプでやりとりしています。

今はまだ子どもと過ごす時間を優先したいので、小説を書くことに関しては「育休中」です。
以前は東京に住んでいましたが、今は地方都市でのんびり暮らしています。
仕事と家事・育児の比率は1:2くらい。勤めに出ているママと比べたら、
稼働時間はかなり短いです。

この自己紹介、書き始めてみたら、思いのほか長くなってしまいました。自分で言うのもなんですが、良くも悪くもめずらしい人生だったので、ちょっと正直に書いてみました。少しでも、誰かのお役に立つ部分があれば幸いです。

 


今後、やってみたいこと


今後は「書くことを通して、自分の人生を見つめ直す講座」で、自分の好きなこと、得意なことで文章が書ける人を増やしていきたいです。文字や言葉、文章を自分のなかから引き出す作業は、苦手意識をなくせば、本当におもしろいので!そして、書くことで、子育て中のママでも自分をあきらめることなく、好きなことを仕事にできるきっかけづくりをお手伝いしたいです。ブログから収益を発生させることができれば、パソコンとネットが使えるところはどこでも仕事場にできるので。
次のステップを考えるならば、資産運用ですね。子どもが1歳のとき、託児つきの講座で学び、ファイナンシャルプランナーの資格を取りました。株や投資信託、海外での運用に興味があり、今なお勉強中です。収入の柱を複数持ちたいのですが、私という人間はひとりしかいないので、ある程度放っておいてもお金を増やせる方法がいいのかもと模索しています。運用で増やした資金で
シングルマザーを支援する事業もいつか展開してみたいです。

 


こんなこと、できたら、いいな


「生まれてきてよかった」「生きていてよかった」と実感しづらいのが

今の世の中のように思うのです。

どんなに能力があって、仕事を頑張っても、それに見合った給料をもらえないことは珍しくありません。それでも、職場と家の往復を続けないと生活していけない。

専業主婦でも共働きでも、ほとんどのママが家事・育児の大部分をひとりでやらなくてはならない大変な状況。子どもだって保育園や幼稚園から帰って来たらママに甘えたいのに、ママは家事でそれどころでなかったりして、なかなか親子でゆったりと過ごせませんよね。

婚活や妊活にはげむ人もいるけれど、
相手や子どもがいれば生きる喜びになるか…と言えば、
そうでもなく、私のように家庭がこわれてしまう人、
家庭が機能していない人もいると思います。いつかの私のように、
つまらない毎日を感じないふりをし続けることができる人もいるのかもしれないけれど、

それじゃ、何のために自分が生きているのか、わからなくなりますよね。

つまらない毎日を楽しいものに変えるためには
「書く力」が必要不可欠です。

家で自分の好きなことを好きなときに好きなように好きなだけ書いて収入になれば、パパとママにこころのゆとりが増えますよね。パパとママが家にいれば、
子どもも笑顔で過ごす時間が増えて「生まれてきてよかった」と感じることができる。
家族で過ごす時間は子どもにとって、どんなおもちゃや教育にも変えられない、
最高のプレゼントなんです。

たとえ、書くことを収入源にできなかったとしても、
書くことで場所と時間を選ばずに好きなことに夢中になれる喜びや

「自分はどうしたら自分の望む生き方ができるのか」を書き出し実行することで、今の自分より幸せに生きていく方法があることに気づける人を増やしていく…。私は

ご縁をいただいた人が幸せになるためのお手伝いを
書くことを通してできたらいいな。うれしいなと考えています。

そして、私自身、自分の生活を立て直すまで本当にストレスだらけの毎日を送ってきたので、私のようにある日突然シングルマザーになった人が「生きていてよかった」と安心できる場も提供したいのです。

 


講座ではこれをお約束します!


基本的に文章が上手でなくても、才能がなかったとしても。

自分にしか書けない何かを誰もが持っています、気づいていないだけで。
そして、それは仕事にしようと思えばできるんです。

日本人は謙虚な人が多いから「自分なんか…」と謙遜し、他の誰かと比べて、せっかくの自分の能力から目をそらしてしまいます。

私はあなたに書くことをとおして「自分で自分を幸せにする方法」をお伝えし、
サポートしていきます。書くことで自分と向き合うので、
ときには目を背けたくなることもあるかもしれません。
けれども、あなたはひとりではありません。私や講座の参加者と一緒です。
あなたのやる気は必要ですが、誰でも書こうと思えば書けるのが文章です!


より良く生きることをめざして


「自分、自分」って書くと、自分勝手とか自己中心だとか言われてしまうのですが、自分で自分を幸せにできない人が家族や大切な人を幸せにできるわけがないと思うのです。他の人の声や価値観を優先して生きてみて、死ぬときになってから

「自分は自分の生きたいように生きられなかった」って後悔しても遅いですよね?
自分の大切な人がそんなことを思いながら死んでいくところを想像したら、
ぞっとしませんか?あの世に持っていけるのが自分のこころだけだったとしたら、自分のこころを幸せでみたすのが、よりよく生きるということになると思うのです。

 


書くことを通して、自分の人生を見つめ直す講座


書くことを通して、自分の人生を見つめ直す講座では

あなたの好きなこと、得意なことなど
書くことをとおしてあなた自身を見つけるところから、
お手伝いします。

あなたが楽しいと思えることを
どうインターネット上で発信していくか、

具体的な文章の書き方や方法まで
しっかりお伝えしていきます!

まだ気づけていない
あなたの本当の夢や希望に気づく方法がここにあります。

毎日を変えたい方の受講をお待ちしています!!

 


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