The following two tabs change content below.
ユキ吉
ネコとじゃれながら、古典の世界へあなたを誘う、ユキ吉です! いや、ネコはあんまり関係ないですが……笑。 ユキ吉は、人と人との、ゆるやかであたたかで情熱的でちょっとヘンなつながりを求めて、今日もむかしむか~しの世界を旅するよ~♪  1000年前の恋歌も、粋な誰かの計らいも、くすっと笑える小話も、かっけーアイツの生きざまも、きっとあなたにも届くはず! すべてがめまぐるしく変化していくこの世界で、時代の激流にうまく乗ったつもりでも、実は心は置いていかれてるってこと、ないですか? 時代の状況、まわりの環境に比べれば、人の心は今も昔もそれほど進化していないのです。相変わらず同じようなことを繰り返しているわけなのですね。 現代に生きる孤独をしみじみと味わいつつも、むかしの人たちの心を感じて、秋の夜長をほっこり過ごすこの頃です。
ユキ吉

最新記事 by ユキ吉 (全て見る)

e86f977549fc19f40f43bb1976abd8fa_s

charisma_logow

ユキ吉


★はじめましてと名前の由来★


こんにちは! はじめまして。「ネコでもわかるユキ吉の古典」のユキ吉です。
もちろん本名ではありません。「吉」なので男性と思われがちですが、ネコが大好きな女です。

なぜ本名ではないのかというと、それは私がシャイだからですwww
そして、ニックネームのほうがなにか楽しげだからです。

この名前、我ながらかなり気に入っています。ネコ好きな人は、ピンと来られる方もいらっしゃるかもしれませんね。
そうです!  「~吉」は、「ネコ吉ワールド」の拡張子なのです(^^)

あの世界のような、命あるもの同士があたたかく、そして強く、それでいてゆるやかな関係で結びついている世界って、いいな~と思います。
そんな世界が私の理想なので、「ネコ吉ワールド」の住人たちの名前にあやかってみました。

fffd4494e52efafdad62d327e57dfafe_s

★現在の私★


私は、とある高校で国語の教員をしています。

たくさんの生徒たちと関わりながら、毎日楽しかったり嫌な思いをしたりしながら、かれこれ20年以上、同じ学校でこの仕事をしています。

学校の先生になるというのは、中学時代からのほぼ一貫した夢でしたので、思ったとおり、好きな仕事に就けたわけです。
私は夢を叶えて思いどおりの仕事をして生きています。

その私が、職場の仕事と共に、このカリスマメディアで発信をしていこうと決意したのはなぜか?

それは、このメディア、このコミュニティーの中に、これからの時代の、学校の新しい形、教育の新たな可能性を感じるからです。

このコミュニティーには、それぞれ自分が経験し身につけてきた成果を教えてくれる先生たちや、
素敵な自分を魅せてくれるカリスマたちが集まっています。

まさに学校ですね。もちろんここにいる人たちは何を教えてもいいし、どんな自分を見せてもいいので、ここは学校よりも自由で広い世界です。

私は、今の学校という場や学校教育に、最近ますます窮屈さを感じるようになりました。
学校って何なんだろうと思うようになりました。

うまく伝えられないのですが、私が先生になりたかった頃の学校と、なんだか本質が変わってきたように感じます。

10年くらい前に教員の免許更新制度が導入されましたが、本当は、教える人と教えられる人の間に必要なものは、
紙切れの証明書なんかではありません。いくらそんな証明書を持っていても、その人が必ずしも教えられる人とは限りませんから。
きちんと教えられない教員に出会うたび、免許なんて関係ないじゃん? とか思ってしまいます。

なのに行政はこんなふうに形式ばかりを押し付けてきて、教員にヘンな負担ばかりが増えています。

知っている人が知りたい人に何かを教えるのに、本当は、習いたい人が、教わりたい人のところに自由に行けばいいだけです。
先生と生徒の関係なんて、本当は実にシンプルなのです。

86eb9df23afc818cbfd92141a8c0e97d_s

★過去の私★


私が先生になりたかった理由は、私のまわりには変な先生がたくさんいて、楽しかったし、尊敬できたからです。
だから自分もそんなふうに、何か人の心を動かすものを伝えられる先生になりたいと思ったのです。

私の家は裕福ではありませんでしたが、絵を描くことや字を書くことが好きだった父は、私が小学生くらいの頃に脱サラをして書道塾を開き、
子どもには習字を、大人には絵手紙なども教えながら、家族を養ってくれました。家計が苦しかった時期は、母親もパートに出たりして
家計を助けていました。

だから、私は不自由をまったく感じることもなく好きなことをやって育ちました。

体を動かすことが好きだった私は、中学、高校と部活のソフトテニスに明け暮れていました。

高校時代は、インターハイを目指した青春でした。結局、県大会止まりでしたが。笑

寝ても覚めても部活ばかりの私は、まったく勉強をやっていませんでしたが、将来の夢はありました。
さっき、中学時代から学校の先生になることがほぼ一貫した夢だったと書きましたが、
実は高校3年の受験期には、まったく違う進路を考えていました。

それは、「海猿」、海上保安官です。今から考えると、熱病のようでした。
ただ単にかっこよさに憧れていただけで、適性はまったくなかったな~っと思います。

しかし、当時は真剣でした。

受験科目に物理があったのですが、私の通った高校には物理の授業はありませんでした。
全員、3年間で化学と生物の授業を選択することになっていました。
だから、私は、高3で部活を引退してから初めて本格的に物理の勉強を始めたわけです。

真剣といってもあまりにも計画性がなく、無謀なチャレンジでした。

学校には物理の先生などいないので、仕方なくクラス担任の数学の先生に頼み込んで個人的に教えてもらうことになりましたが、
受験物理に間に合うわけもないし、しかも、専門でもない先生が物理を教えることは無理でした。

というわけで、私はあえなく受験に失敗し、薄々気づいてはいましたが、「私は理系の頭ではない」という現実を突きつけられもし、
魂が抜けたようになってしまいました。

見かねた母親が、国語の教員免許が取れる学部を勧めてきました。
国語には書道も含まれますので、父の仕事を継ぐことになったときに役に立つだろうという理由です。
夢も希望も失くしていた私は、母から言われるがままに、進路を日本文学系に大転換しました。

ところが、大学で学ぶうちにだんだんと文学の面白さに気づき始めました。
近現代文学はもちろんですが、高校時代にはつまらなく感じていた古典の世界の魅力にもはまっていきました。
だから先生になって、それらの魅力を生徒たちに伝えたいという気持ちが固まってきました。

国語の先生になるなら高校で勉強していない分もうちょっと勉強しておこうと思って、大学院に進学し、けっこうまじめに研究もし、
学会でも発表させてもらったりして修士論文も出来上がり、無事卒業して、その後、小さな町の私立学校の国語の教員となりました。

念願の夢が叶ったのですから、それからというもの、がむしゃらに学校の仕事をひたすらこなし、生徒たちとひたすらふれあいました。

古文・漢文・現代文の学習指導、小論文などの文章指導、進路指導など、時間外も含めてめいっぱいやり、
授業についてこれない生徒がいたら、放課後、時間をとって説明をしました。

また、ソフトテニス部の顧問として約15年間、弱小チームでしたが、雨の日も風の日もまじめに指導に励みました。

同時に、文芸部の顧問としてもゆる~く活動してきました。年に1度、部員に好き勝手に小説を書かせ、
それをまとめた文芸冊子を発行して毎年の文化祭で売るというだけの活動です。

授業にもクラス経営にも全力で打ち込み、放課後は毎日遅くまでソフトテニス部を指導して、
あまりのきつさに、帰宅した瞬間、玄関で倒れてそのまま朝まで寝ていたことが何度かあったくらい、
それほど自分に鞭打ってやっていました。

こうして私は、授業と部活動とクラス経営とで、学校で課せられた業務のみに自分の時間の大半を使ってきました。
とにかく自分が取れるだけの時間をすべて学校の仕事や生徒たちに割いてきました。
自分のやるべき仕事をひたすら頑張ってきた年月でした。

私はこの仕事が好きで楽しいからこそ続けていて、さまざまな形で生徒たちと出会い、触れ合い、まあけっこう嫌なこともありますが、
それ以上に、かけがえのない関係を作り、お互い人間として高め合えたりできることもあり、今もつながりのある卒業生たちもたくさんいて、
振り返ってみても、こんな働き方をしてきたことを後悔はしていません。

自分で選んだ今の生き方を、私は自分の意志で大切にしてきたわけですから。

7a89e21237c4fb75e2df5af8b6d5ed67_s

★再び、現在の私。そして未来へ★


だんだんと体力もなくなってきたのでソフトテニス部の顧問は辞め、現在は国語科の仕事に特に力を入れています。
ほぼ毎年高3の受験指導もしています。

そんな中で最近感じるのは、「教える・教えられる」という者同士の関係性や、学校という教育現場のあり方の変化。
そこがあまりにも機械的になっているように感じるのです。
生身の人間同士のふれあいの場であるはずの学校において求められることが、機械的に感じてしまう。

教育においてもっとも大切にされるべきものは「心」だとみんな知っていながら、
それとは逆行した形で、効率だの合理性だのばかりが追求されています。

授業においても、画一的に、生徒にやさしい、わかりやすい授業を求められる。

「わかる」ってどういうことだろうかといつも思います。説明においてわかりやすさはもちろん大切です。
古典文法などはある程度論理的な説明も必要です。

でも、そんなに簡単に何でもわかっていいのか? 「わかる」って言っても、わかった気になっているだけではないのか?

教える側には、わかりやすさが強く求められ、そこから生徒の意欲・やる気を引き出すことまでもが求められる現代の学校現場。
しかも、生徒がするべき努力のところまで教える側の力とみなされる傾向がある。

私は、そこまでして勉強させなくてもいいんじゃないか?と思うわけです。

勉強は高校生くらいになれば、やりたい人が自発的にやろうとする気持ちを持ってはじめて意味をなすのです。

それが、行きたい大学の受験科目にあるという理由でもいいわけで、そんな理由であっても、
自らが学びたい、学ばなきゃと思ったときに、その科目が扉を開くのです。

ところが学校の授業では、やりたくない人を無理やり着席させている状況がある。
そしてまた逆に、途中から本気で勉強したいと思い始めても、授業はどんどん画一的に先に進んでいるので、
すでについていけなくなっている状況もある。

私は特に古典の面白さや奥深さを高校生に伝えたいと思っていますが、
伝わるかどうかは、まず初めに、学ぼうとする、知りたいと思う、その人自身の姿勢ありきです。
興味を持つか持たないかは、その人次第。やりたくなきゃやらなきゃいい。

それを画一的強制的にさせようとするから変になっちゃうわけで。

学校教育のなんという窮屈さ!! こんなふうだからいずれは高校なんていらなくなる。
それはそんなに遠い将来ではないように感じます。

現在、インターネットの中にも高校に代わるだけの場は存在します。実際の高校現場よりも柔軟で、可能性のある場だと感じます。

インターネットの向こう側に生身の人がいることを、お互い忘れさえしなければ、
学びたい人が学べる環境、教えたい人が学びたい人に教えられる環境は、学校以上に広がっています。

皮肉なことですが、学校がどんどん機械的になっていき、むしろインターネットという機械を通してのほうが、
機械的ではない関係を作っていける可能性を感じます。

インターネットを使って、機械的ではない関係の中で、古典という学問の面白さを伝えていく。私はそこに挑戦してみたいと思ったのです。

だから、自分が楽しいと思う古典について、ここカリスマで発信し、「学ぶ意志を持った人」に古典の面白さを伝えていきたいのです。
それは、授業についていけなくなった人でその遅れを取り戻したいという人だったり、大学受験に向けて力をつけたい人だったり、
あるいは単に古典を学びたいと思う人かもしれません。

学校では1人の先生が担当している生徒すべてに個人的に対応するのは至難の業です。
でも、インターネットのレバレッジをきかせれば、クリアできるはずです。

インターネットのレバレッジと言っても、ツールだけに任せるわけではなく、
もちろんそこに人としてのサポートがあるわけですので、これは画期的な学習方法です。

学校でもIT教育は盛んに取り入れられ始めています。

このカリスマのシステムを使って多くの人が古典を楽しく学ぶきっかけに出会ってくれれば、うれしいです。

私たちは日常の中で、楽しかったり、うれしいことがあったり、へこんだり、悲しかったり、そうやって生きています。

そして、落ち込んだり、元気をなくしたりしたとき、人は自分以外の他の力を借りたりします。
その力とは、生身の人だったり、大好きな風景だったり、誰かからもらった手紙の中の言葉だったり、過去の記憶だったり、
本の中の言葉だったり、好きな歌だったり、映画のワンシーンだったり。

そして、そこに古典文学があれば、人生、もっと豊かになると思います。

だから、元気の出る種の1つとして、古典に関する知識を発信していきたいなと思っています。
それを受け取ってくれた人たちに、ささやかでいいので、さまざまな形で元気とか勇気とか、を感じてもらえたらいいなと思っています。

古典の作品は、現代の合理性を追求する目で見れば、実に不合理な要素の多い文章ですが、その不可解さが人間らしさを感じさせるのです。
何でも合理的・分析的に捉えなければ気のすまない現代において、わからなさが渦巻いている古典の世界って、ちょっと素敵だと思いませんか。

大学入試センター試験はあと4年で終わり、新たな入試制度が導入されますが、
そうなれば、機械的な「わかる」では対応できない試験になると思います。

科学の世界でも、1つの問題に対して、答えが必ずしも1つとは限らないという認識が浸透してきたし、
私たちが直面する問題にはむしろ答えといえるものがはっきりあるほうが珍しいわけで。

基本的な知識はそれとして踏まえつつ、センター試験のような答えが1つの問題には当然対応できるような力をつけることに加えて、
それ以上に、自分の頭や心を通して考えることこそが、いま大切にしなければならないことなのです。

古典という世界を通して、そんなことを伝えられたらいいな、と考えています。

5671cd9a8b0d7fdbd809341742b32886_s

SNS LINK

OTHER CHARISMA

この記事を書いた人

ユキ吉
ユキ吉
ネコとじゃれながら、古典の世界へあなたを誘う、ユキ吉です! いや、ネコはあんまり関係ないですが……笑。

ユキ吉は、人と人との、ゆるやかであたたかで情熱的でちょっとヘンなつながりを求めて、今日もむかしむか~しの世界を旅するよ~♪ 

1000年前の恋歌も、粋な誰かの計らいも、くすっと笑える小話も、かっけーアイツの生きざまも、きっとあなたにも届くはず!

すべてがめまぐるしく変化していくこの世界で、時代の激流にうまく乗ったつもりでも、実は心は置いていかれてるってこと、ないですか? 時代の状況、まわりの環境に比べれば、人の心は今も昔もそれほど進化していないのです。相変わらず同じようなことを繰り返しているわけなのですね。

現代に生きる孤独をしみじみと味わいつつも、むかしの人たちの心を感じて、秋の夜長をほっこり過ごすこの頃です。
Simple Share Buttons
Simple Share Buttons