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武原 夏子
玉川大学農学部卒。元・日本不耕起栽培普及会理事・事務局長。不耕起移植栽培や田舎暮らしの楽しみを教えています。農産物の差別商品化や売上増加コンサルをしています。手作り、田舎の食や暮らしが大好き。伝統食大好き。農家のじいちゃん大好き。都会暮らしでは、命と精神が縮んでしまう。ずっと満員電車に乗らず、朝に出勤しない生活を望んできたら、そうなった。ナチュラリストでも何でもないのに、化学物質過敏症、合成添加物過敏症、合成洗剤アレルギー、シックハウス症候群。さらには、憑依体質。宇宙とのつながりについて、いつも考えています。

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雛祭とちらし寿司


 

3月が近くなると

雛祭りに関する情報が多くなります。

 

Photo by qinqiu

 

平安時代から雛祭に、

菜の花とエビのなれずしを食べたという

記事がたくさんあるんですが、

私には??なんです。

 

お米について調べていると、

穀物と醗酵と文化との関係など、

いろいろ気が付くことが多いんです。

 

インターネットで学ぶ講座

「ローカルライフきらめき」でも

年明けからは、醗酵の季節なので、

1月は麹菌を使った糀の仕込みと味噌作り、

2月は糀や酒粕、酵母の使い方を学びながら、

醗酵食品を作り醗酵食品に親しみます。

 

 

そこで雛祭と醗酵食品、

野菜の伝来についてまとめてみました。

 

 


醗酵と生ものの保存と鮓(すし)


 

お酒は古代からあったので、

お酒の醗酵がさらに進むと酢になることは、

昔の人たちも知っていたと思います。

 

お酒が薬だとも言われるように、

酢も体に疲労がたまった病人に飲ませる、

薬みたいな使い方をされていたようです。

 

平安時代、醤油、酢、味噌などは、

皇室の方が、煮炊きした食べ物に付ける

味付け用の調味料だったようです。

 

お刺身に付ける特上刺身醤油みたいに

大事に使ったんでしょうね。

 

料理する時に沢山加えられるほど、

醤油、酢、味噌は大量には作られておらず

高貴な人だけの貴重な調味料だったと

考えるのが自然かもしれませんね。

 

この時代には、今のお寿司のような

お酢を使った料理は無かったわけです。

 

穀物の醗酵技術は、収穫量が確保でき、

保存や加工技術の伝来や改良から

発達したのでしょう。

 

ご飯に味噌を塗って食べた(なめ味噌)のが

ひしおという醗酵食品の始まりのようです。

 

私の住む町でも、

かつては蔵ごとのひしおがあったのでしょうが、

今もひしおを作り続けているのは

1軒の酒屋さん(元酒蔵)だけです。

 

かなり甘いですが、糀だけの甘さです。

 

金山寺味噌などに近い物ですよ。

 

 

ひしおは、味噌や醤油の

原型だとも言われています。

 

もともとは、

イネ科の穀物や豆類から作るのは醤(ひしお)、

肉や魚の塩辛みたいなものが醢(ひしお)

だったようです。

 

ひしおが誕生したということは、

穀物糀の利用範囲が

広がっていたと考えて良いと思います。

 

穀物または糠に塩を加えて、

魚介類や肉を漬けこんで

醗酵させて保存したのがなれずしです。

 

馴れ鮓・熟れ鮓(なれずし)と書くように、

熟成してなじんだ鮓(すし)です。

 

つまり魚介類や肉そのものを

鮓(すし)と称していたようです。

 

奈良時代、平安時代には国の統治が進み、

租庸調(そようちょう)という

税の納付義務がありました。

 

地方自治のまとめ役であった

神社の行事・神事用としても、

納める品物や量が決められていました。

 

納税したものの種類は、

米や穀物、魚介類、布類、肉、毛皮、

生活に必要な日用品など多岐にわたりました。

 

貝(特にアワビ)、エビ、海藻も

納められていました。

 

生ものを納めるわけには

いかなかったでしょうから、

鮓や乾物にしたのでしょう。

 

穀物の醗酵が生ものの腐敗を抑えます。

 

どうして鮓(すし)が生まれたのかを考えると、

納税品として、保存できる状態にして

生ものをまとめて運ぶ必要があったからのようです。

 

 

乾燥、塩蔵、醗酵は、

この時代の仕組みや食生活に対応した

保存方法だったのでしょう。

 

醸造技術がとても発展したのは江戸時代です。

 

酢が庶民に広がったのは、

江戸時代後半になります。

 

Photo by https://goo.gl/J6CKhF

Photo by https://goo.gl/J6CKhF


雛祭の歴史は?


 

中国から伝わった

陰陽五行の五節句の上巳が、

雛祭になりました。

 

五節句とは

1月7日 人日(じんじつ・本来は1月1日で元旦が除かれた)
3月3日 上巳(じょうし)
5月5日 端午(たんご)
7月7日 七夕(しちせき)
9月9日 重陽(ちょうよう)

同じ奇数が重なり陰となる日だそうです。

 

陰から生じる厄を祓うのが五節句です。

 

陰陽五行は日本の習慣にも多く残っていますが、

農業や作物、食べ物とのつながりも多いんですよ。

 

平安時代には陰陽師が皇室の方々の

厄払いを行っていたそうです。

※このような行事は律令制(りつりょうせい)で、
国の仕事としての担当部署や担当官が決められていたんです。
律令制は、今の国の組織でいえば官庁みたなものなんです。

 

五節句は男女の区別の無い大人の行事で、

厄を祓うために、人形(ひとがた)を

川に流したのが上巳の節句です。

 

七草、雛祭(桃の節句)、端午の節句、七夕祭は、

日本の伝統行事・地域行事として

独自に発展したんですね。

 

 

雛祭の語源の「ひいな」(ひひな)とは、

小さき(者・物)という意味の古い言葉で、

「ひい」は、小さい、細かい、幼い

という意味のようです。

 

鳥の子もひいな、

小さな人の形をしたものもひいな。

 

人形遊びやおままごと遊びは、

「ひいな遊び」だったようです。

 

源氏物語にも

「ひいなあそび」が出て来るんですよ。

 

 

人形造りの歴史は古いようです。

 

やはり昔の人も、赤ちゃんや子どもに

人形をあげたんでしょうね。

 

私が知っている人形で、平安時代ごろに、

赤ちゃん用に作られた、

人の形のぬいぐるみがあります。

 

生地は絹か麻、

顔は描かれておらず服も来ていませんでした。

 

人形造りの技術が高くなり、

木目込み人形が作られるようになったのは、

室町時代です。

 

この頃はまだ、

雛祭と木目込み人形の関係が

あったわけではないようです。

 

雛祭が女の子の無病息災や

幸せなお嫁入りを願う行事となったのは

どうやら江戸時代のようです。

 

裕福な武家や商家に飾られる、

段飾りの雛人形が登場します。

 

今でも皇室の結婚式には、

お妃様は十二単をまといます。

 

雛祭は、江戸時代の皇室の結婚式の様子を

現したお人形なのでしょう。

 

Photo by https://goo.gl/J6CKhF

Photo by https://goo.gl/J6CKhF

 

お供え物や人形の数もこの時代に増えたようです。

 

でも、雛祭の時にお供えし食べたご飯は、

当時はまだ、お赤飯だったらしいんです。

 

 

江戸時代の後半になると、全国で酢を使った

ばらすし、五目寿司、江戸前ちらしなど、

さまざまなお寿司が食べられるようになります。

 

醸造が業として発展し、酢が調味料として

庶民にも普及した時代と重なるようです。

 

お雛様とちらし寿司の関係は、

江戸前ちらしが起源かもしれないですね。

 


灯火(ともしび)と菜の花


 

日本では古くから、

茎立菜(くきたちな)、菘菜(あおな)などの

アブラナ科の野菜の花を食べたようです。

 

茎立菜も菘菜(菘・あおな)も「すずな」、

七草の蕪(かぶ)のような野菜だったようです。

 

時代や地域によっては、

青菜とか冬菜とも呼ばれたようです。

 

蕪や大根は弥生時代に伝来して、

飛鳥時代(古墳時代)には、

御上が栽培を呼び掛けていた野菜でした。

 

現代農業でいうなら

「奨励作物」「奨励品種」です。

 

ただし、今の蕪や大根の品種のように、

根が大きかったかどうかはわかりません。

 

では、現代は菜の花と呼ばれている

アブラナの栽培が盛んになったのは、

いつごろからなのでしょうか?

 

伝来の時期は、

弥生時代から古墳時代ごろかもしれません。

 

ただし、油用ではなく、

菜っ葉として伝わったと思われます。

 

 

平安時代に、灯火用に使われていた

油は主に荏胡麻油(えごまあぶら)です。

 

菜種から油を取るようになったのは、

戦国時代に中国から菜種油が伝わったことが

きっかけなのかもしれません。

 

江戸時代に入ってから搾油技術が高くなり、

アブラナの栽培が奨励されて、

灯火用としての菜種油が普及したようです。

※高価でしたが、江戸時代には「和ろうそく」も
ぼんぼりの灯りとして使われるようになりました。

 

油を取る目的で栽培している

アブラナ菜の花を種になる前に摘んで

食べるとは考えにくいですよね。

 

江戸末期になると

天ぷら、かき揚げ、油揚げのような

揚げ物が庶民にも広がりました。

 

こちらはごま油を使っていたと思われます。

 

 

実は、庶民が菜の花を

食用にするようになったのは、

明治時代末頃からだと言われています。

 

家や街の灯りが

石油ランプに変わったからのようですね。

 


地方の雛祭


 

3月3日の雛祭りですが、

大きな雛壇を飾り付けする家は

田舎でも少なくなっています。

 

今は住宅事情などもあり、

お嫁入り先にお雛様を持って行かず、

実家に置き去りにされることも多いようです。

 

そんな時代の流れの中で、

町をあげてお雛様の

お披露目をしている地域もあります。

 

 

Photo by https://goo.gl/J6CKhF

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茨城県桜川市の「真壁のひなまつり」もその一つです。

 

真壁の商店街のお店の中に

いくつもの雛壇が飾られていて見事です。

 

観光客は街並み散策とお雛様を楽しめます。

 

古い時代から新しい時代のお雛様まで、

いろいろ見ることができて楽しいですよ。

 

是非一度、行ってみてください。

たくさんのお雛様と出会い、雛祭を堪能してくださいね。

 

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武原 夏子
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