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高橋 統仁

高橋 統仁(タカハシ トウジン)と申します。 46歳、妻と4歳、3歳の娘の4人家族。 44歳の時に腎不全になり、2015年8月にすい臓がんにより、 余命半年と事位されました。 家族の為、”生きる為の戦いと死んで何を残すか?” 二つの相反する胸の内を綴りました。

高橋統仁です。

さて、最近は体調が結構良かった。

「NK細胞の効果が多少は出てるのかな?」

なんて思って調子に乗っていました。

そのNK細胞ですが、2回の投与も終わり、

投与した細胞も、1回目は22億、2回目は25億と

先生に言わせれば、大変優秀な培養すうらしです。

そんなわけで、昨日は3回目の投与日。

全部で5回の投与になるので、折り返し地点です。

思えば、初診の採血の時は、友人に付き添いを頼み、

ハアハア言いながら病院まで行き、

初回は、妻の付き添い。

2回目には一人で栃木から新宿まで

通えるようになったのですから

それなりに効果は出ているのかもしれません。

なんて思っていたのが大きな間違いだったようで・・・。

そこはやはり、癌の王様でもある、すい臓がんです。

油断していると大きなしっぺ返しが返ってきます。

思えば、前日から、その兆候は表れていたんですよね。

それを、最近調子いいからと言ってスルーしてた。

おかげで、今日も朝から最悪の体調です。

こうして記事を書いていても、頭がフラフラしてて

目の前が寄れている感じ。

それは、昨日病院に行くのに、駅のホームで

電車を待っているところから始まりました。

栃木から新宿に行くには、新宿湘南ライナーを使えば

電車一本で着きます。

いつものように、みどりの窓口で往復切符を買い、

席に座れないと体が辛いので、グリーン車の切符を買います。

そして、駅のホームへと階段を下りて行くのですが、

その時に体に少し違和感を覚えました。

「体が少しフラフラする。

立っているのが少し辛いのです。

その時は、いつもの軽い貧血だろう。

程度の認識だったのですが、

電車に乗って、席についてもフラフラしているのです。

いつもの軽い貧血なら、座って少し休めば収まってくるのですが、

なんだか様子がおかしい・・・。

そうは言っても、今日も付き添いなしで来てるから

様子見るしか手段は無い。

そんな事を思いながら電車に乗っていたのですが、

新宿に誓ず苦につれ、眩暈はひどくなり、

呼吸は荒くなってくる。

そんな状態で新宿に到着したのですが、

いざ、立ち上がってみると、歩くのが辛い・・・。

かなりゆっくり目に歩いても、息が切れるし、

眩暈でフラフラしている。

「かなりヤバイな。」なんてお見ながら、

なんとかかんとか歩いて丸の内線ホームへ、

ここから隣の西新宿に病院があるので、

そこまで行けばなんとかなると思って、がんばりました。

だけど、西新宿の駅に着いたところで、

一旦ギブアップでしたね。

ホームの椅子に座って、立てなくなってしまった・・・。

そのまま30分位でしょうか、私はそのまま固まっていました。

それでもなんとか勇気を振り絞り、病院まで行ったのですが、

ホームから病院までの道のりは、そうやって歩いたか

今考えても、よく分かっていない。

ただ、フラフラして、生き切らしてたのだけは覚えてる。

あんなところ警察官に見られて、職務質問されてたら、

薬物中毒者だと思われても仕方がなかったろうな・・・。

通院んあおか、救助を求めに行ったのか分からない状態で

病院にたどり着き、分かった事。

血圧の急激な低下だった・・・。

私は身長が180cmと大柄なのですが、

普段は血圧が上135程度あれば、普通に生活出来ます。

それが150位になると結構歩くのがきつくなる。

それなのに、病院にたどり着いた時の私の血圧は

90しかなかった。そりゃあ、辛いよね。

NK細胞を投与するのには支障がないとの事で

そこは一安心したのだが、問題は「家に帰れるか?」だ。

正直言って自信が無い。医者は落ち着くまでベッドは貸せる

と言ってくれたが、なにしろ家は”栃木県”だ。

もの凄い不安の中、NK細胞を投与したのだが、

なんと、ラッキーな事が起きた。

この投与してくれた看護師さんが思わぬ救世主だった。

「ここから、新宿駅まで位なら血圧を上げられるかもしれない。」

と言ってくれたのだ。

方法はいたって単純で、NK細胞を投与する際に使用する

生理食塩水をいつもより多くとうよするだけ。

信じられないと思うかもしれないが、

じつは人工透析で血圧が下がった時も

これと同じ方法で血圧を上げる。

もちろん、人工透析の時みたいに200ccとかではなくて、

NK細胞投与の時に使う小さな物だが、

いつもなら、半分程度しか投与しない所、

全部投与してみようと言うのだ。

”白衣の天使ってのは実在するんだねえ。”

なんて思って看護師さんを見たら、薄い緑の看護服着てた。

それはどうでもいいのだが、これが思いのほか効いた。

立ち上がった私は、さっきまでの自分が嘘のように

体が」軽く動き、呼吸も苦しくない。

「これなら帰れます。ありがとう。」とお礼を言うと。

「あまり長い時間は無理だと思うので、気を付けて下さい。」

と優しく注意され、急いで帰路につきました。

来る時と違い、足取りも軽く帰ってきたのですが、

やっぱり、看護師さんってすごいね。

計ったように、新宿駅のホームに着いたら、

眩暈が戻ってきた。

なんとか電車に乗って、グレーン者にしておいてよかった。

なんて思いながら席に座り込み、眩暈と闘いながら帰ってきました。

家にたどり着いた時には、たってもいられないし、

呼吸もおかしい状態で、どうにもならなかった・・・。

”やっぱろ付き添いはひとようだな。”

”すい臓がんを甘く見てはダメだな。”

と改めて思い直し、闘う大変さが身に染みた一日でした。

ただ、このことを、我が家の絶対権力者の妻に相談した所、

「そうhs言っても、付き添える人がいないんだから、

自分で何とかする楚歌ないでしょ。」

「私だって、子供の世話があって大変なんだから。」

と、冷たく突き放されてしまった。

なんだか最近、妻が冷たいんだよなあ・・・。

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高橋 統仁
高橋 統仁(タカハシ トウジン)と申します。 46歳、妻と4歳、3歳の娘の4人家族。 44歳の時に腎不全になり、2015年8月にすい臓がんにより、 余命半年と事位されました。 家族の為、”生きる為の戦いと死んで何を残すか?” 二つの相反する胸の内を綴りました。