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高橋 統仁

高橋 統仁(タカハシ トウジン)と申します。 46歳、妻と4歳、3歳の娘の4人家族。 44歳の時に腎不全になり、2015年8月にすい臓がんにより、 余命半年と事位されました。 家族の為、”生きる為の戦いと死んで何を残すか?” 二つの相反する胸の内を綴りました。

高橋統仁です。

すい臓がんを告知された私ですが、

今、これを読んでいる方は”所詮他人事”

と思っている方もいるかもしれません。

しかし、その”他人事”が突然、

自分の身に怒らないとは限りません。

何故なら、私がすい臓がんを告知さえrたのは

お盆が終わった8月17日の事でしたが、

お盆が始まった頃は、

まったくそんな事がおぃるとは想像もしていなかったのです。

癌と言うものはそんなもので、

何時発見されるのか?

前兆が無い分、かなり恐ろしいです。

そして、病院では、

担当医が淡々と余命宣告をしてきます。

「高橋さん、すい臓に腫瘍があります。」

「肝臓にも転移しているので、手術は不可能です。」

「早ければ年内、持って半年だと思います。」

まるで世間話をしているような感覚で告知されます。

ドラマなどでよく見られるような、

もったいぶった感じで、家族にだけ知らせる。

なんて事もありません。

ある日突然、普通の生活から奈落の底に落ちていく感じです。

さて、この余命宣告を受けた時に、

私が初めに思った事、それは、

”自分がいなぅなった後の家族の生活”

これが一番に頭に浮かびました。

”残りの人生、好き勝手に生きよう。”

”死にたくない。”

等の感覚よりも先に無条件で、

そしてなんの抵抗もなく、そう思ったのです。

人間は何かの転機によって変わって行くものです。

事業がうまく行き大金を持った時に出てくる感覚。

「もっと稼いでやろう。」、「他人の為になる事をしよう。」

等、人のよってそれぞれあるかもしれませんが、

なってみないと分からない感覚は必ずあります。

私も癌を告知され、余命を宣告されて、

初めて自分が何を袋セルに思っていたのか

分かったような気がしました。

私は家族を愛し、

私が死んだ後も幸せに生活出来るようにして

死んでいきたい。

余命宣告を受けた時に、そう思ったのです。

”死ぬ覚悟”と言うものは一瞬で出来たのでしょう。

なにしろ、”死んだ後”の心配をしていたのですから。

そんな自分に少し驚きながら帰宅し、

妻にすべてを伝えました。

初めは驚いて涙を流した妻ですが、

一拍おいて彼女から出てきた言葉を聞いた時、

私は、この女性の強さに感動し、”絶対にこいつには勝てない”

と感じました。

彼女から出てきた言葉、

「現実はすべて受けとめます。」

「ひとつだけ望むのは、幼い娘にパパの記憶が残るように

なるべく一緒に時間を作ってあげてください。」

と言うものでした。

妻自身、私がいなくなった後の生活に不安がああるでしょう。

家族4人でもっと一緒に痛いでしょう。

これからどうすればいいの?と叫びたいでしょう。

そんな自分の気持ちを押し殺し、

子供の事を第一に考える妻に

母親の強さを改めて思い知らされ、

私は頷くことしかできませんでした。

そして私は一つの決断をします。

”家族の為に一日でも生きていられるように闘い、

私が死んだ後、家族が安心してセ渇できるような環境を作る、”

その為に残された時間のすべてを使おう。

その日から、私の”生闘死残”は始まりました。

そしてその日から現在に至るまで、

生きる為、死ぬ為に何をしてきたのか?

それは次回からのお話です。

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高橋 統仁
高橋 統仁(タカハシ トウジン)と申します。 46歳、妻と4歳、3歳の娘の4人家族。 44歳の時に腎不全になり、2015年8月にすい臓がんにより、 余命半年と事位されました。 家族の為、”生きる為の戦いと死んで何を残すか?” 二つの相反する胸の内を綴りました。