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金子 裕亮

金子 裕亮

批判されないように。叩かれないように。嫌われないように。ただそれだけを考えて生きてきた時間があった。そんな時間は、いつも、窮屈で、不毛で、ただただつまらなかった。前(さき)には繋がっていなかった。けれど過去は持ちだして今の自分を傷つける為のものじゃない。そんな自分でも愛されていて今がある。ということを知る為にある。そんな気がしている。

いつもは東京に住んでいて、ちょっと足を伸ばせば新宿だって渋谷だってすぐそこにある。

 

背の高いビルが立ち並んでいるから、昼間は突き抜けるような青い空に、いつだって別の色が混じちゃってるし、夜になれば常にライトがピカピカに灯っているから、深く伸びて吸い込まれてしまいそうな真っ黒な空を純粋に味わうことができない。これが別に嫌いなわけじゃないけれど、常に箱の中にいるみたいな感覚があるから、

 

たまに、地元の新潟に帰ってくると、ビルが無い広い空とか、街灯がないから真っ暗になる夜の道が、凄く心地いい。限りなく純度100%の全てに触れることができてる、そんな感じ。

 

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前回の記事でも書いたけど、

将来の夢がふえました、農業やろ~~っと。

 

新潟に帰ってくると沢山のものを脱力したまま受け取ることができるから好き。

 

ただ、自分にとって心地いいものばかりを受け取っているわけじゃない。心地よくないと感じるものも多く受け取ることになる。

 

こんな時、心地良くないものには蓋をして受け取らない。そんな考えの方もいるのだろうけど、

 

僕は、表現する自由を唱えるなら、それに対して批判してくる人の「批判する自由」も受け入れるべきである。みたいに、心地よいものも心地よくないものも、全てをありのまま受け容れていった方が良いと確信しているから、感じたものをそのままの色で心に染み込ませるかのように、心地良い悪いに関わらず、受け取るようにしている。

 

今回の新潟帰省の目的を果たし、久しぶりに、祖父母の家に立ち寄った。懐かしい場所である。そこで、あることを思い出したんだ。それは、どちらかと言うと心地よくないもの。けれど、すごく大切なことだった。新潟帰省の締めくくりに、その事を記していく。要は僕の昔の思い出話である。

 

 


やった後悔より、やらなかった後悔


 

かなり前だけど、TVのCMでこんなフレーズが流れていた。

 

「やった後悔よりも、やらなかった後悔の方が心に残る」

 

生きていて「やらなきゃよかったな」とはあまり思わないんだけど(思ったとしてもほんの些細なこと)、「やっておけばよかったな」ということは今まで沢山あった。

 

全力でやった!それでも駄目だった。これなら、諦めはつくかもしれない。場合によっては清々しい気分になる人もいるだろう。けれど、やらずして駄目になった時は後悔の嵐となる。なんであの時、、 なんであの時、、 なんで、、 涙。

 

そして、「あんな感覚は二度と味わいたくはない」と多くの人は言いながら、多くの人はこの後悔を繰り返していく。

 

何かに挑戦する時には「失敗したらどうしよう」「変に思われたらどうしよう」と、ウジウジ悩んでやらなくていい理由を探すくせに、やらなかったらやらなかったで、ウジウジと後悔してその事実を正面から受け止めようともしない。けど、きっとその悲しさに気付いた人から順に様々なことが変わっていくんだと思う。

 

~~~

もう、やなんだよ。

叶えたいことがあるのに、

口にも出さずに諦めてくのは

もう、やなんだよ!!!

~~~

 

僕の大好きな人がこう叫んでいて、心がしめつけられた。「口にも出さず」ってとこが特に。

きっと僕の中の2つの大きな後悔がそうさせているのだと思う。

 

 

 


1つ目。 ただただ怖くて口にも出せなかったんだ


 

あれは、16歳の秋。高校生バレーボーラーにとって憧れの舞台である 「春の高校バレー 全国大会」 。これに向けて毎日毎日必死にボールを追っかけていた頃のこと。僕は1年生。

 

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大会はの日は近づいている。でも、なかなかチーム力があがらなくてみんな焦っていました。練習しても練習しても上手くいかなくて、みんなイライラしてました。

 

そんな、ある日の練習後の部室。

 

誰も核心には触れたくなくて、みんなイライラを隠すように変に陽気な雰囲気で着替えていました。すると、一人が切り込みました。彼は僕の中学時代からの仲間で、僕らの代ではキャプテンを務めることになる熱い男です。

 

「このままじゃ、マズイっすよ 」

 

後輩という立場の彼が勇気をもって先輩たちに切り込んだんです。けれど先輩たちの雰囲気は変わらず、一人の先輩が

 

「何とかなるって、大丈夫、大丈夫。」

 

と、笑顔で言った。その先輩は場を嫌な雰囲気にしたくなかったのかもしれない。本心はわからないけど彼の切り込みに対して、そう返したんです。

 

すると、彼は激怒。その先輩を怒鳴りました。

 

「ふざけんな!オメぇが一番真剣さが感じれねんだよ!」

 

部室内が一気に凍りつきました。

関わりたくなさそうにしてた先輩もさすがに「これはマズイ」と思ったのでしょう

 

「お前先輩に向かってそれは無いだろ!」

 

となり、その後は言い合い。

仲間同士でかなりモメてしまったんです。

 

 

その時の僕は彼と同意見でした。

みんなで真剣に話し合わないとヤバイ、そう思っていました。

思っていたのに、

彼の行動に感謝すら感じていたのに、

それなのに僕はその間、一言も発することができなかった。

 

中学時代からの大切な仲間です。

どっちの味方だとか

そんな話じゃなくて、

彼の支えになることはできたはず。

だって、彼と同意見だったんだから。

 

でも、何も言えなかった。

完全にビビってたし

 

本音を言うと、

怒りのエネルギーの矛先が

自分に向くかもしれないことが

どうしようもなく怖かった。

最低だと思う。

自分の身を守るために

大切な仲間を見殺しにしたんです。

 

 

彼はその後、一人泣いてました。声を殺して。そして、部室を飛び出し、一人で帰って行きました。

 

 

どうして、あの時何も言わなかったんだ。

どうして、あの後声をかけなかったんだ。

 

後悔しました。

自分にガッカリしました。

でも、もっと後悔したのはその後でした。

 

僕が県選抜の合宿に参加してる時のこと。他校の先輩からこんな風に言われたんです。

 

「お前んとこのあいつ、一人で全国制覇とか言ってんだろ?笑」

 

彼の掲げてた目標は全国制覇でした。僕らのレベルをみれば誰もが一目瞭然、そんなことは無理に決まってました。けれど彼は堂々と言い切ったんです。真剣な顔で。

 

けど、そんな彼のことを、僕らの先輩が他校の人に面白おかしく話してたようです。

 

そう言われた時、僕は、また、何も言い返せなかったんです。反論せずに苦笑いで誤魔化してしまったんです。自分が嫌になりました。本当、最低ですね。後悔の後の、更なる後悔でした。

 

 

10年経った今でも、あの時の彼の泣き顔を思い出すと涙がでてきます。

 

 


2つ目。あれほど後悔したのに、また


 

あれほど後悔して、「もうあんなのは2度と、、、」と心に決めたはずなのに、そう簡単には変われなかったんです。

 

 

そんな経験をした高校生活も終わり、宮城県の大学へ。実家を離れての一人暮らしが始まった。家族とも特別な用事がある以外は連絡はとらない。祖父母とはなおさらで、お盆や年末年始の年に数回、実家に帰省した時にだけ顔を見せに行くだけでした。

 

 

そんな時です。おじいちゃんが病に倒れたのは。腎臓の病気でした。

 

 

僕は両親が共働きで忙しかったこともあって、小さい頃はいつも祖父母の家に預けられていました。おばあちゃんは怒るから怖いんだけど、おじいちゃんはいっつも優しかった。おばあちゃんに叱られそうになった時に僕をかばってくれて、僕の代わりにおじいちゃんがおばあちゃんに叱られてました。「そんなに甘やかしてばかりいるな」って。けど、それでもおじいちゃんはいつも優しくて、笑顔で包んでくれていたんです。だから僕はおじいちゃんが大好きだった。いっつも一緒にいて、いっつも遊んでくれて、僕のことばっかり考えてくれて。本当に大好きだった。

 

 

そんな大好きで感謝してもしきれない、おじいちゃんが病気でどんどん痩せていく。県外に住んでたから、たまにしか帰ってこれない。そして、数カ月ぶりに新潟に帰って顔をみに行く度に、おじいちゃんは痩せ細って、弱っていきました。人工透析に通う毎日で、常に体がダルそうで辛そうでした。

 

 

そんな状態のまま約1年が経ったある日。

 

僕は久しぶりに宮城県から新潟に帰省して、おじいちゃんに会いに行きました。今までと同様に辛そうでしたが、今回はいつもと違う雰囲気を感じていました。

 

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以前なら、僕が久しぶりに会いに行くと目の色が変わっていたおじいちゃんが、今回は僕が会いに行って声をかけても、目の色は変わらず、反応はあるものの、どこか他人行儀な感じなんです。で、僕の頭を嫌な思いが浮かびました。

 

 

もしかして、「僕のこと忘れてる」?

 

 

日々、病気と格闘して疲弊していたし、年齢の影響もあって痴呆に似た症状が出ていたようです。しかも今回は、前回の帰省からだいぶ時間が経過してしまっていたんです。だから、、、

 

 

けれど、僕はそれを認めたくなかった。認めない以前に、本当のところを知るのが怖かったんです。「忘れられた」 = 「自分の価値の無さが露呈する」みたいに感じてしまって、とにかく怖かった。おじいちゃんの中から「僕」という存在が消え、「君は誰?」と質問されてしまったら、立ち直れなくなってしまう。だから、普通におじいちゃんい声をかければいいところなのに、それができなかった。問題をうやむやにして、向きあおうとせずに逃げたんです。

 

 

そんなことをしてるうちに、あれだけ大好きで感謝しているはずの、おじいちゃんに声をかけれなくなり、近づけなくなり、会いに行くのさえ気がひけるようになってしまったんです。

 

そして、その数カ月後に僕の大好きなおじいちゃんは病院のベッドで息をひきとりました。

 

 

僕の心に残ったのは、大好きなおじいちゃんとの楽しい思い出を、かき消してしまうほどの後悔と、またもや恐怖に負けてしまった自分への怒りだけでした。

 

 


恐怖に怯えていると「人」を傷つけてしまう。 の「人」とは自分自身。


 

僕はもう、大好きだったおじいちゃんには会うことができないんです。話すことも、臭いをかぐことも、触れることも、みることもできない。死んじゃったから。

 

解消のできない、取り返しのつかない後悔です。今思えば、どうでもいい様なちっぽけな事にビビって、縮こまって、身動きがとれなかったんです。いや「とれなかった」ではなく、「とらなかった」の方が正しい。自分の身を恐怖から守るために自らの意志で「とらなかった」んです。けど、今思います。

 

恐怖から自分の身を守ろうとした行為が、実は自分を一番傷つけていて、その傷が最も深いもになってしまったということを。

 

 

もう、こんな想いは絶対にしたくない。

 

 


今の自分は愛されていることを知り、認め、目の前の人を思いっきり愛せ


 

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なんか、かなり暗くて重い話になってしまって、読んでくれた方の気分を下げてしまってたらすみません。

 

ただ、この後悔があるから今の僕がいるし、これからの道標となってくれていることは事実です。過去は変わらないけど、今と先は変えていけるわけで、過去の辛い経験や、後悔はそれを成し遂げるためにあるんだと思う。

 

後悔して後悔して、それでもまた同じ問題で後悔をうんでしまった、こんな僕でも、愛してくれて応援してくれている人はいて、僕が役者として華咲くのを待ち望んでいる人が沢山いる。

 

それに気づけたことで、大切にしなきゃいけないことが何なのかがわかりました。

 

 

後悔なんて、無いのが一番だけど、そこからの学びは沢山あります。ただ、この先、取り返しのつかない事が必ずでてきます。

 

例えば

誰かに何かをみせたい。

誰かに何かをあげたい。

誰かを幸せにしたい。

 

そう思ってたとして、その人がいつまでもいるとは限らない。自分が明日も生きてるなんて保障はない。

 

もう、「やらなかった後悔」を味わってる場合じゃないってこと。

ビビって怖がって自分の身を守ろうとしてたら本当に大切なものを失ってしまうかもしれないってこと。

 

 

僕にとって、多くの人にとって、向き合わなければいけない大切なことを、僕の大好きなおじいちゃんは気づかせてくれたんだと思う。

 

ありがとう。

 

 

 

Fake it until you make it.

(今この瞬間から)

 

 

この記事を書いた人

金子 裕亮
金子 裕亮
批判されないように。叩かれないように。嫌われないように。ただそれだけを考えて生きてきた時間があった。そんな時間は、いつも、窮屈で、不毛で、ただただつまらなかった。前(さき)には繋がっていなかった。けれど過去は持ちだして今の自分を傷つける為のものじゃない。そんな自分でも愛されていて今がある。ということを知る為にある。そんな気がしている。