The following two tabs change content below.
金子 裕亮

金子 裕亮

批判されないように。叩かれないように。嫌われないように。ただそれだけを考えて生きてきた時間があった。そんな時間は、いつも、窮屈で、不毛で、ただただつまらなかった。前(さき)には繋がっていなかった。けれど過去は持ちだして今の自分を傷つける為のものじゃない。そんな自分でも愛されていて今がある。ということを知る為にある。そんな気がしている。

部屋を掃除していたら約10ヶ月前に購入した雑誌をみつけた。10ヶ月前といえばお正月。その雑誌はスポーツ系のもので、表紙は 『 第91回箱根駅伝 』 の速報。第91回箱根駅伝は、


青山学院大学がぶっちぎりの初優勝を飾った。すごく素晴らしいと感じた。当時、僕もTVでリアルタイムで観ていて、優勝決定の瞬間は鳥肌が全身を走り、目頭が熱くなったのを今も覚えている。


箱根駅伝を観ていて、そして、僕が中学生の頃に仲間とチームを組んで町の駅伝に挑んだ時に抱いていた疑問があって、


それに対する僕の考えが、高い基準値で行動を継続するための秘訣の一つになることは間違いないと感じている。



崩れる駅伝。 崩れないマラソン。



当時の僕はこんな疑問を抱いていた。


走り終えた後、マラソンではランナーはぶっ倒れないのに、駅伝の走者は崩れおちるのか?


駅伝走者の中には、意識が飛んじゃうくらいまで自分を追い込む人がいる。


TVの箱根駅伝を観ていてもそうだし、中学時代の町の駅伝では僕の目の前で、それが起こった。タスキを次の走者に託したその人は毛布を掛けにきたスタッフの人に向かって崩れ落ちた。こめかみには血管が浮き上がり、口は半開きでよだれが流れている。眼は焦点が定まっていないようだった。


怖かった。自分の意識が飛ぶくらいまで力を出しきっている人間が目の前にいて、そこまでは到底振りきれないであろう自分がいる。その人の気迫というか殺気というか、一つのことに集中して自分の全てをさらけ出してしまう意志に、完全に圧倒されていた。


「 なぜ、、なぜそこまで自分を追い込めるの? 」 



鍵となるエピソード



専門的な観点からみれば、マラソンと駅伝では走る距離が違うし、それによるペース配分も違うから、単純に比較はできないとか色々とあるでしょうが、


駅伝の走者は意識が飛ぶほどに力を出しきり崩れ落ちる。そこまで自分を追い込めるのは何故なのか?それに対して、僕はこう思う。核心に迫るまえに、次の話を聴いて。


~~~~~

僕の大好きなロックバンドのLIVEに行った時の話。場所は武道館。会場に入り、開演前の準備としてトイレに向かった。するとLIVEの運営スタッフの男性が一生懸命トイレを掃除していた。

休憩中にまたトイレに行ったら、さっきと同じ男性スタッフの方がまたゴシゴシとトイレを掃除していた。

何度もみかけ、その度に一生懸命トイレ掃除をしていたので 「 さっきも掃除してましたよね?ご苦労さまです」 と声をかけると、その男性は「 ありがとうございます 」 と笑顔で言い、続けてこんなことを話した。

「 私、このLIVEをどうしてもっ、どうしても成功させたいんです。このLIVEをつくるスタッフや来てくれるファンの皆さんが少しでも気持ちよく居れれば、その可能性があがるので、私のできることをやらせて頂いているんです 」

~~~~~


とっても素敵な方に出逢えて嬉しかった。


では、この男性スタッフさんは何に一生懸命だったのか?



それは、人の為。そう、人の為なんだ。

人の為が実は自分の為なんだけど、それは置いといて、


人の為。駅伝の謎も同じ。



原動力は 『 他人歯車 』 ということ



意識飛んでぶっ倒れる駅伝走者の謎。それは原動力を生みだす歯車の違いで説明できる。

人が行動を起こすときの原動力を生みだす歯車には、『 自分歯車 』『 他人歯車 』 がある。

どういうことかというと、字の通りなのだが、すっごく単純に表現すると、


自分歯車 → 自分の為にがんばる。

他人歯車 → 人の為を想いがんばる。



人はまず自分歯車を原動力にして行動を起こす。それで一気にいける人もいるけれど、多くの人は早かれ遅かれ自分歯車の動きが鈍り、最終的には回らなくなる。そして、行動をやめてしまいそうになる。


けれど、そこで、大切な人のことを想い他人歯車を回すことができれば、行動が止まることはなくなる。止まるどころか、極限まで追い込んでも尽きることのない超強力な原動力になる。間違いなく。


駅伝の走者もさ、先輩の為、後輩の為、チームの為を想い、それさえ自分の為だと知って、さらに人の為を強く想い、他人歯車をガンガンガンガン回すことで、それを回し続けることで、


自分の限界を遥かに超える肉体的、精神的パワーを発揮するんだ。


だから、タスキを愛する仲間に託していく駅伝走者は、意識が飛ぶくらいに自分を追い込むことができる。


もちろん、他人歯車だけではそれもよくなくて、頑丈な自分歯車も絶対に必要になる。どちらか一方のみに偏らず、頼りすぎず、両歯車を連動させていくべきである。



この話が種(きっかけ)になれば嬉しいんだ。



自分歯車と他人歯車。

この記事の霊がたんぽぽの種子が風に運ばれるように、この記事を読んでくれた人の心に辿り着いて、何でもいいから変化のきっかけになってくれたら嬉しいと思う。


何かどうしても成し遂げたいことがあって、それを成し遂げるためには圧倒的な行動量が必要だったとして、

もし、モチベーションが下がって行動量が少なくなってて、何とかして現状を変えたいと感じているなら、ただ闇雲に気合を入れて 「 今日こそは、今日こそは 」 と決断を繰り返すという無駄な行為はやめてさ、

自分歯車、他人歯車に油をさしてあげればいいし、その考え方から感じたことを意識してみれば良い。



Fake it until you make it. (今この瞬間から)



P.S.

2016年の箱根駅伝。どんなドラマがあるんだろう。今からワクワクする。

この記事を書いた人

金子 裕亮
金子 裕亮
批判されないように。叩かれないように。嫌われないように。ただそれだけを考えて生きてきた時間があった。そんな時間は、いつも、窮屈で、不毛で、ただただつまらなかった。前(さき)には繋がっていなかった。けれど過去は持ちだして今の自分を傷つける為のものじゃない。そんな自分でも愛されていて今がある。ということを知る為にある。そんな気がしている。