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金子 裕亮

金子 裕亮

批判されないように。叩かれないように。嫌われないように。ただそれだけを考えて生きてきた時間があった。そんな時間は、いつも、窮屈で、不毛で、ただただつまらなかった。前(さき)には繋がっていなかった。けれど過去は持ちだして今の自分を傷つける為のものじゃない。そんな自分でも愛されていて今がある。ということを知る為にある。そんな気がしている。

春のお花見、夏のバーベキュー、秋のハロウィン、冬のカウントダウンなど、1年の間には様々なイベント事があって、その時期になると街は活気づき、人々も活気づき、なんだかこっちまで楽しくなる。ウキウキしてくる。


楽しくなって、ウキウキしてきて、いい気分で追われれば最高なんだけど、悲しいことに今の日本では僕はそうなれない。
各イベント時期にTVをつけると必ず聞こえてくる言葉たちがいる。


ゴミ。ゴミ。「 イベントのゴミ問題 」 


この言葉たちがTVから聞こえてくる度に、ぐったりしてしまう。こういったイベント後のゴミ問題を耳にする度に、良い悪いとかじゃなくて、ただただ


ダッセっ! しょーもなっ!


と心が痛くなる。イベントを楽しみ、バカ騒ぎすることは全然いいんだけど、ゴミくらいきちんと捨てろよな~といつも思う。こんな事が少しでも耳に入ってくることが嫌だし、こんな事を報道したくないTV関係者も多いだろうし、何よりイベント会場の管理人さんや近隣住民の方たちは鬼迷惑である。


参加者みんなじゃない。みんなじゃないんだけど、ほんの一部のダサくてしょーもない人たちのせいで、多くの人が迷惑し、嫌な気分になってしまう、、、。 くやしいな、、くやしいな、、悔しいですよねっ!



騒ぐだけ騒いで、自分の出したゴミすら片付けられない人たちの気持ちは理解できない。全く。


けれど、このままじゃ良くない、、、というか悔しいし、何かを変えようとするなら、まずは理解しなければいけない。だから、ダサいことをする人たちが何故そんなことをするのか?



考えてみたら、最近僕が体験したある事と通じている部分があって、その話がとてもわかりやすく今回の件を物語っていたのでその話をしようと思う。以下は最近、僕が体験したことの話。



「 もうっ! パンが潰れてるじゃないっ! 」




近所にあるスーパーに行ったら、おばちゃんがレジの店員さんを怒鳴りつけていた。
レジの店員さんの袋詰めの仕方が気に食わなかったらしい。


うわっ、怖?。 「 そこまで怒鳴らなくてもいいのに 」 と僕は思っていたのだが、



そのおばちゃん。よく見たら近所にある別のスーパーでレジをやってるおばちゃんだった。しかも、そのおばちゃんの袋詰めはかなり雑で惣菜弁当の上に平気で2リットル飲料水のペットボトルをドン!とおいたりするw



そのおばちゃんを、どうこう言いたいわけではなくて単純にすごく不思議に思った。



どうして、自分は人にされたら怒るのに、同じことを人にしてしまうんだろう?





人はどうしてこうなっちゃうのだろう。しかも、ほぼ無意識で。なんで????


考えてみた。そしたら感じた。きっとコレなんだと思う。



『 自分ごとじゃないから 』


結局、他人ごとなんだ。別にパンが潰れようが弁当が潰れようが自分には関係ないですもん。



花見だ、BBQだ、ハロウィンだ、カウントダウンで渋谷へGO!だっつって街で大騒ぎしてゴミ散らかしたって、地元の人が迷惑するだけで自分には関係ないですもん。


もっと広げれば、世界中で食べるものが無くて飢えに苦しんで死んでいく人達がたっくさーんいたって、自分には関係ないですもん。自分の目の前で困ってる人がいても自分には関係ないですもん!


関係ない、関係ない。関係ない。



、、、、、



、、、、、



あん? カンケイナイ?



、、、、、



んなわけねぇーだろーが!!!!!



関係ないわけないでしょ。

ですよね、そう思うでしょ。関係なくなんてない、関係大あり。だって全ては繋がってて、僕らは生かされてるんだから。ただ、それを感じれていないだけ。見失ったのか、忘れたのか、それは知らないけど。


もう本当に、人に対して無関心な人が多すぎると思う。それじゃマズイんだよ。



以前の僕もそうだったから、わかるんだ。

自分のことにしか興味がない。人には無関心。

 

つまんない奴でした。しょーもない奴でした。ダサい奴でした。

 

でもそんな自分が大嫌いで大嫌いで変わりたいといつも思っていた。だから、必死にもがいた。なりたい自分にはなる為に。


そしたら少しだけ変われて、周りの人達から「お前、変わったな!今の方が全然いいよ!」と言ってもらえて、少しだけ自分を好きになれた。
なりたい自分には、まだまだ程遠いけど以前のような、自分のことにしか興味のない、つまらない奴ではなくなった。そしたら毎日が楽しくなった。



相手は自分の一部で、自分は相手の一部。なんだからさ、




相手に関心持って愛せばいい。人に関心を持つことで、人の気持ちをわかろう、理解しようとする。そうすれば、人に対して思いやりのある行動をとることができる。朝の混雑した駅で、おっさん同士が些細なことで喧嘩して怒鳴りあってる光景もなくなる。スーパーのおばちゃんは怒鳴る必要がないし、イベントでバカ騒ぎしたとしてもメリハリもって行動できるから、ゴミを置き去りにして多くの人に迷惑をかけるなんてダサいことはしなくなる。


そしたら、ダサくてしょーもない言葉たちはTVからも、どこからも聞こえてこなくなる。誰かの周りでダサいことが無くなっていき、それが連鎖していけば日本はダサくなくなる。


もっと、人に関心を持って、そして、自分ごととして捉えていけばいい。そこから始まっていく。



Fake it until you make it. (今この瞬間から)

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この記事を書いた人

金子 裕亮
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批判されないように。叩かれないように。嫌われないように。ただそれだけを考えて生きてきた時間があった。そんな時間は、いつも、窮屈で、不毛で、ただただつまらなかった。前(さき)には繋がっていなかった。けれど過去は持ちだして今の自分を傷つける為のものじゃない。そんな自分でも愛されていて今がある。ということを知る為にある。そんな気がしている。