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小川タカコ
子供服オンライン講座を主催。23歳の時にフリーランスで起業。29歳からはパリコレの作品を縫うことに。一流ブランドとの経歴は、再現性が高く、洗練された出来上がりを求め、数々のヒミツを実行したからに他ならない。子供服にも有効な、超絶わかり易く【失敗しないコツ】を伝授。『面倒くさがりなのに超一流!ずぼらでもパリコレ作品を縫えるヒミツ』
ミシン

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小川タカコ

小川タカコ

子供服オンライン講座を主催。23歳の時にフリーランスで起業。29歳からはパリコレの作品を縫うことに。一流ブランドとの経歴は、再現性が高く、洗練された出来上がりを求め、数々のヒミツを実行したからに他ならない。子供服にも有効な、超絶わかり易く【失敗しないコツ】を伝授。『面倒くさがりなのに超一流!ずぼらでもパリコレ作品を縫えるヒミツ』

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コツが分かると創作はメッチャ楽しい

はじめまして
”一流ブランドの顧問が教える~スピードソーイング”を主催をしている小川タカコです。

今回は、専門学校を出たての、縫うことが好きでもなかった私が

どのようにして
一流ブランドと直接取引をして仕事を請け負い、顧問の発言力を持つようになったのかを書きます


縫うことの基本は、コツと練習


縫うことが好きであれば、それだけで才能です
在宅で稼ぐことも、練習を厭わなければ、多くの人ができるようになります

けれども
一流どころと取引をする工場であってさえ
工程の順番を間違えると、とんでもないことになってしまうんです

①コツ:縫う技術を磨く前に、縫いのコツを知れば、素人臭さからの卒業が早い

②慣れ:コツを知って、練習することで一気に上達する
(無闇に数を多く縫うより、コツを練習するために縫う事が大事です)

③ 工程の順番を必ず大切にすること

ソーイングの全ては、この3つで構成されると言って過言でありません。

私が在宅で稼ぎ始めたのは23歳の時からで
世界を揺るがすパリコレを成功させたのは29歳のとき
狭くて暑い四畳半が仕事場でした

在宅で独立して稼ぐようになってから
工程を常に意識して、それをメーカーに伝えることを、手間がかかっても惜しまなかったため

某大手メーカーでも相談役に就任
縫えないもの、形に成らないものがあったら

「小川に聞け。小川でも出来なかったら、諦めて出来ないと先生に報告する」

そこまで言われるようになりました
縫い目がキレイにすっきりできているものは、縫わない人にも必ず通じるものがあります

逆に縫い上げるのに苦労したものは、草臥れた感じがして、一目で苦労が滲んでるように見えてしまうものなんです

あなたも「キレイに縫えていて嬉しい!」と言われるようになりたくありませんか?

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+**
1962年に東京で生まれました
中学の時に横浜へ引っ越し
結婚後10年、北鎌倉へ山越えで歩いていける、横浜市のマンションに住んでいました


在宅で稼ぐサンプル屋に何故なろうと思ったのか


文化服装学院の服装科(2年過程)を、卒業
池袋にあるフォーマルドレスのアパレルメーカーに就職しました

そこでの業務はデザイナー、パターンナーのお手伝いのような仕事でした

展示会の商談で使う、新規に発表するサンプルを
サンプル屋というそれ専門で縫ってくれる個人さん宅へ、出荷するお手伝いをすることになりました

在宅で稼いでいる人がいるのを、初めて知り実際に触れあったのです
縫製のプロでも陥りやすい失敗

出来上がりが想像できないと縫えない

最初に縫い方の解説が必要

企画室に勤めるようになって
在宅のサンプル屋さんはご高齢で…」という嘆きを先輩たちから聞かされました

■縫える形であるのに、縫い手側が理解不足、または技術不足で縫うことができないのか

■そもそも型紙が縫える形に成っておらず、どんなに縫いが上手でも、形状的な問題で縫えないのか

この会話の意思疎通に、2時間も電話越しに、てんやわんやの大騒ぎをしてしまうんです

作るものがフォーマルドレスなので、縫う手順も工程も多く
ちょっと順番を間違えると出来上がらないことが、往々にして起こってしまいます

縫い上げるのに、工程表がきちんとしていることが、最大のポイントと言ってもよく
工程が狂うとプロでも作れなくなってしまうものなんです

(驚きません?笑)

責任のなすり合いのように
「出来るはずだ」
「縫えないって言ってるのに」 不毛のように繰り返さなくてはならない

展示会が近くなって、仕事を多く依頼するようになると、毎日のようにこれが続くのでした。。。

企画室のこちらは、ほぼ20代前半で
縫う技術を持っている人がいないために、説明が具体的ではないんですね

一方、在宅のサンプル屋さんはその頃でも60代の百戦錬磨の方々で、考え方も少し柔軟性に欠けたお年頃
悪いことに型紙を引く能力を持ってない人が多い

互いに歩み寄れる部分が少なく、困り果ててしまうことが多かったのです


在宅で稼ぎやすく型紙に縫い方のコツを書き込む


パターンナーの書いたパターンを私が縫い代をつけて切り抜く作業の時に
型紙に縫い方の説明書を書き込むことにしました

あらかじめ、つまづきそうなところを注意書きしてあっても
「縫えない型紙だ」と言われてしまったら、口頭で説明するのはとても大変です

つまりですね
「縫えない」と思われたら、そこをひっくり返すことがどれだけ大変なのかということです

ですから、縫い方の簡単な図形を大きく書いて(メガネが必要じゃない大きさですw)

そこに説明文も丁寧に書き込みました
ちょっとしつこいくらいでしたが(笑)

そこまでしてやると、今までの頑固だった
電話での一方的な「縫えない」の全面拒否から

「どうやったらそういう縫い方になるのか教えろ」と変わっていってくれたんです

これには
非常に手ごたえと面白さを感じました

そもそも在宅で稼ぐためにサンプル屋をしているわけですから、彼女たちも効率よく縫える方がいいわけです

「あなたが説明文を書いたんだから、サンプル屋の相手は、あなたがしなさい」
デザイナーさんもパターンナーさんも、頭の痛いお役目から開放されて、ほっとしています

私は、通じない相手にちゃんと間違ってないのだとわかってもらうのが楽しくて

デザインが新しくなるたびに
どんな風に解説文や図解を書いてあげたら、この人たちは納得しやすいだろうか?

それをとことん考えるようになっていました

そんなことをするうちに

もしかして
私の若い年齢であったら、先行きが長い上に、ライバルは高齢しかいない
しかも型紙を理解している私が、サンプルの分野に進出したら、儲けられるかも?

そう考え始めてしまったのが、サンプル屋起業へのスタートでした
家庭の事情で2年の過程を2年半も習ったので、下手でも型紙を理解するのは得意でした

そもそも在宅で稼げるパターンナーになりたかったので、それなりに勉強もしていました

サンプル屋の話し方が一方的な頑固さだけが目立っていて
私がサンプルを縫う立場だったら、こんな言い方はしないのに…

ビジネスとして惜しいなと感じていたのも、サンプル屋として起業したきっかけです


在宅で稼げる縫うコツを知った強み


このサンプル屋という職業は、いわゆる縫い子さんの分野なのですが
縫い子と大きく違う性格を持っています

「縫い子さん」は、基本的に就業スタイルです

朝に工場へ勤めに通い、それぞれが得意な部分的を担当し
ラインに則って、流れ作業で、全員で1着を完成させていくスタイルです

夕方になっても、納期があって出来上がらなければ帰れません

もちろん強制残業こそはないものの、非常に後ろ髪を引かれる思いです
クタクタにうなだれて仕事を続ける同僚をしり目に、気まずく帰らねばなりません

それに比べてサンプル屋は、在宅で仕事をする、個人営業主です

宅急便のお兄さんが運んでくる段ボールで仕事を受け取り、仕事がスタートします

納期という縛りはあるものの
自由な時間帯で働いて、その服を縫い終わり家から一歩も出ずに仕事を完了させて
一歩も家から出ずに、トラックのお兄さんに受け渡しをし任務が完了する

どうですか?
フリーランスです
すごく今風でしょ?(笑)

私が専門学校を卒業したころは、バブルが弾けて就職難が襲ってきていました

でも皆さんもよくご存じのように、バブルが弾けて不況になりたてのころなんて
長く続く不況にあえぐ現在から考えたら、当時はものすごい好景気でした

作れば爆発的に売れるバブルの時代が終わっていたとはいえ
その当時もまだ、作って売れ残ったら海外でドンドコ売れた時代です

作って損をすることが少なく、強気の勝負でとにかく作っていました
やるなら、今しかないと感じました

手に職をつけて、結婚しても在宅の仕事を続けられる
子供が熱を出しても、在宅で稼げるなら、会社に休みをもらわなくてもいい

子供の声を聴きながら、仕事をして
旦那が嫌になったら、赤ん坊を抱いてミシンを肩に担いで出ていける!
希望の光に、満ち溢れていると思いました

不幸なことですが、旦那を嫌いになったら、生活費の心配をしないでいいんですw

堂々と、歩ける子の手を引いて、赤ん坊は背負って
ミシンは担いで出ていけるってすごくないですか(笑)

業務用ミシンを担ぐ女w
レスリング選手みたいですがw

実際は、レスリングの選手だって、業務用のミシンは重くて、担ぐなんて酔狂ですよね(笑)
まあ、自分の親を見て育って、結婚生活にこれっぽちも夢も希望も持てなかった人間が
結婚でもしないと、実家から出るのは絶対的に可能性が皆無であると判断し
取りあえず、結婚してもいい相手は居るんだけども。。。
そういう環境で、

★  在宅で稼げる ★

★ 割と手取りが高額 ★

★ 一歩も家から出なくても可能 ★

★ 婆さんになるまでやれる、息の長い仕事 ★

今なら、ネットショップで販売することができますよね^^

縫う技術は一度覚えたら、ずっと自分のもので、それは自転車と同じなんです
すごい好条件に思えて、めらめらと燃えましたね(笑)


縫い方のコツを教えたら成功した


★  パターンに縫い方の解説を丁寧に図解 ★

★  失敗しない縫い方を先に伝える ★

★ コツを知って縫えば、失敗が限りなく少なくなる ★

これがアパレルメーカーで覚えた、在宅を含めた縫う人への大事な要素だと知ったので
常に、その部分を考えながら仕事をしていました

ボーナスの前に辞めることにして、都内の小さなアトリエに転職することになり
そこで2年の修業を経て、結婚後すぐに独立しました

工業用のミシンとロックミシン、そして工業用のアイロンをローンで購入して
マンションメーカーと直接取引をしてもらい、在宅のサンプル屋としてスタートしたのです

最初の時の報酬が、『手形』でした…汗!
手形って、現金になるまで3か月、悪くすると半年もかかったりするんです

縫製業は、末締めの末払いが基本なので
全く収入なしで5カ月~8か月営業しろと言われているようなものです

これでは闘えないと営業に力を入れ
コネを使いたくなかったので、営業は基本的にテレアポで、徐々に取引先を大きくしていきました

この営業でも、【縫い方のコツをレポートで提出します】とアピールして取引を開始し
きちんと実行して、信頼を積んでいきました

在宅で稼ぐことに向いていたらしく、3人の子供が生まれたときには
飛ぶ鳥を落とす勢いの某デザイナーズブランドへ、テレアポしてみようと思えるほどに
経験を積んでいくことができました

すべて最初の就職の時に

在宅のサンプル屋で稼いでメラメラしてる人たち向けに
パターンに縫い方の解説を丁寧に図解してやることにより
意思疎通を完璧に整えることができた

これが、私の成功の全てです

私自身が在宅のサンプル屋で稼ぐようになってからは、企画室のパターンを見れば
どの程度に縫う人間と仲良くなれる型紙を書いているのか、即断で理解できました
立場が違っただけですからね

縫う側から、私にはどういう縫い方にするのか通じるけど、
ここをこう直さないと、工場の人たちにはミシンの縫い方が通じないですよ

この生地は、このような特性があるから
工場へ仕事の依頼をする時に、
担当者に、裁断の仕方や縫い方を、これこれこのように話を通しておくとトラブルが防げます

そんな風に図を多用して、縫い代の向きがどうであるとか
縫い目がこうなるとか、時間をかけて図解を書いたものでした

今でもレポートの渾身の作品は、手元に残してあります

私が請け負った仕事には、必ず後日、そうした丁寧なレポートをつけて送付し
営業にも必ず行き、企画室の担当者とも顔合わせをし
信用を重ねていきました

これをするサンプル屋はいなかったので、非常に有り難がられました


在宅で稼ぐも「子宮は偉大である」


そんな上り調子だった私は、一回だけ、取引先から取引を停止されてしまったことがありました

第二子をもうけて、在宅で請け負う量も手一杯だし、これ以上は子供は無理だなぁと思い
27歳の時、避妊リングを入れてもらいました

が!

直ぐに、妊娠しちゃったのだ!!!!
で。
手術になって、妊娠を強制的に中止するのだろうと、病院に行ったんです

そしたら。

「子宮は偉大である」 と、婦人科の先生が言うんですわ。。。

「何も問題ないから、出産まで定期的に検診に来なさいねぇ~」

いや正直、本当にビックリしまして。。。
その頃は、セカンドオピニオンなんて言葉もなかった時代です

まあ事態をよく考えれば、妊娠を続行すべきかどうか
2軒以上の医者へ行けよ!って思われるのは当たり前なんですが

その頃の私には、妊娠と出産するには
とにかく稼ぎまくっておかなければならない、非情な掟の中で暮らしてまして

幼子2人でもどうにかなりそうなのに、3人目となったら、どれだけ出産までに積んでおくか

嫌な言い方ですが、キャッシュをプールできるかどうかが勝負だと

 

また最初の子を中絶していたので
もう2度と自分たちの都合で、無辜の魂を殺したくないと感じました

反対を何度も叫ぶのが情けないことに、子守担当の実家の母だったので
より何とかしなければと、対処のほうに全力を傾け

ちょっとズルをしようと思ったんです。。。

ーナイショで出産しようー

そんなの出来るはずがないんですが
出産前後の諸々があまりにも重いため、余裕を少しでも持たせようと思ったんです

三女を出産予定日の近くに、同じく在宅で稼いでいた先輩をパートで雇って
つなぎの仕事をしてもらって
取引先に出産のことを言わないで、どうにか継続しようと画策しました

出産当日の深夜まで働き、産後2日目にはミシンを6時間も踏みました

厳しかったです
世界がぐらぐらミシンと一緒に揺れましたね(笑)

退院してからすぐに平常業務

でも、出来るはずがありません
サンプル屋は、スポットの仕事オンリーです
契約も保証もありません

その時の、たぶん全部がいけなかったのでしょう、取引がバタッと止まりました
29歳の時です。


TVで観たパリコレの特番が、在宅で稼ぐ運命を変えた


三児を抱えて、親の生活費と自分たちの生活費と、機材のローン

月に25万は稼がないとならないのに、取引先の中堅クラスを失い、大損害です

悩んだ挙句に、どうしても気になって仕方のないメーカーに、体当たりをすることにしました

 

某有名デザイナーズブランドのパリコレの特番を、TVでやっていたのを観て以来
専門学生の時に、ファッションショーを何回も観た、あの時の興奮が蘇ってザワザワしていたんです

私は縫う立場で、あの興奮を一緒に味わえるかもしれない

そう考えると、胸が高鳴ってたまらず

いやいや
その蓋を開けたら大変なことになるって、あれほどTVで特番していたじゃないかと留める声があり

二律背反のせめぎ合いで考え抜いた挙句に、電話をかけることにしました

やりたいことをせずに生きるのは大嫌いなのです
興味があって出来る自信があるのに、安全を取るというのができなかったんです

その結果。

年末にテレアポして営業にも行き、細い仕事のロープをつかんだと思ったら
とんでもないほど、デカくてごっつい太いロープが、これでもかと脳天直撃な感じで降ってきたんです

私の運命は、この機に劇的に変わることになったのでした


パリコレの衣装を全部縫い上げる


翌年の春浅い日のこと。

某メーカーの担当者から、1本の電話
『247着のショー用作品を3週間で縫い上げて欲しい』

某プリーツの服を先駆けて世界に発表した、パリコレの仕事が
何処をどう転んだのか、私のところへ依頼され

私が縫ったもので大成功を収めました

これを発端に
某プリーツの人気は、うなぎ登りに大旋風が巻き起こり

全世界がプリーツに恋をしたと言われるほどになりました

PLEATSPLEASE

海外で開催される展示会で、
ファッションバイヤーの女性の全てがプリーツを着ている、とまで言われた時代の到来です

私はと言えば、縫製の顧問のような立場で、単に縫い終わったら終わる仕事だけではなく
どうしたらトラブルをなくして生産できるのかを進言しつつ、請負をする立場になっていました

量産工場へ何度も足を運んで、プリーツの加工工場へも見学を繰り返しました

何度となく宮城に行く必要がありまして
とうとう田舎を知らないくせに、宮城県に移住することにしました
39歳の時です。


不況から独自ブランド設立~被災


移住して仕事もやりやすくなったものの
不況によってガクンと収益が落ちて、海外生産にアパレルがほとんど移行し
縫製工場の多くが倒産を余儀なくされました

私もかなりダウンした中でもがいていました

その頃に、大きいサイズのプリーツがないから着れないとう声を多くいただき
何度も研究して『大きいサイズのプリーツ服』を独自販売しました

大きいサイズのプリーツ

徐々に全国から注文をいただくようになり

そんな時に、3.11の被災

住んでいた家のすぐ近くまで、重油で汚れた養豚場の豚の死がいが流れ着いてしまう
家が家を潰すような、激しい被災状況でした

5月。
家が大規模半壊してしまっていましたが、カタログハウスのオファーがあり

ショールを被災者の方々に作業してもらい
復興支援のほんのちょっとをお手伝いすることになりました

カタログハウス「通販生活 2011年秋冬号」 カタログハウス「通販生活 2011年秋冬号」

カタログハウス「通販生活 2011年秋冬号」

10月まで現地にとどまって生産し、千葉へ転居しました

2012年の秋に、縫製業は閉店

2016年まで縫製から離れていました


縫うコツを教えたい


私の洋裁の歴史は、人と人をつなぐ役目を技術でしてきたようなものです
ギブ、ギブ、ギブ!

与えることが勉強になり、次の仕事も確保できる道を無償で営業していたので
一流メーカーの仕事を四畳半でも請け負うのに問題がなかったのです

独自プリーツでオーダーメイドを始めたときも
個人様のサイズに合わせて、どのように技術提供できるのか、真剣でした

自分が成し遂げる面白さを、今度は洋裁を良く知らない世代へ

今こそお伝えできたらと願って、スピードソーイングの講座を作ります

メーカーとのやり取り、子供を育てながら仕事をして、子供服を手作りで着せてきたこと
そんなエピソードも交えて発信していきたいと考えています

 

=========================
最後に私のFacebookグループへのUPLを書きますね。

Facebookグループ 『スピードソーイング~プロが教える最短ハウツー~』

承認制の秘密グループです。

あなたの縫うときの疑問に、私が質疑応答する特典のほか
縫ったものをアピールできるスレッドもあり、
参加者の皆さんで盛り上がっていくことを目的としています

ぜひ、参加してくださいね

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